長崎街道 【11日目】

2011年11月11日

午前中長崎市内を観光
朝一番にホテルで朝食バイキングを食べて出発、時間は午前中なので限られた史跡しか回れません。まず市電で中央地区に移動しました。長崎街道も歩き終え、今は気持ちが晴れやかで少しの時間ですが史跡を回ります。多分長崎の美味しい食べ物を食べている時間がないだろう。
また何時か時間を見てきてみたいと思います。

八坂神社

八坂神社と並んで  真言宗長崎山清水寺
大浦 慶(1828~1884)
日本茶の輸出で膨大な財をなし、坂本龍馬や陸奥宗光など幕末の志士への資金援助を惜しまなかった女傑。晩年は詐欺事件に巻き込まれ破産に追い込まれた。清水寺はお慶が熱心に参拝したといわれる。「歓喜天」を祀る

清水寺の大浦家の墓所に墓があります
大浦家の沢山の墓碑

その中の一つで金文字の墓(向かって右から二つ目)

大浦けい居宅跡

思案橋通りの一筋西の筋

皓台寺と大音寺の間の坂道

曹洞宗海雲山皓台寺(こうたいじ)

境内墓地には 楠本タキ・楠本イネ・二宮敬作等楠本家の墓

長崎の町
この高台辺り一帯には沢山の神社仏閣が並ぶ寺町で、沢山の著名な墓が並ぶ長崎市街地を一望できる場所

高台の東に進むと、風頭公園があり、大きな 坂本龍馬像 が立っています少し足元にあやからせてもらいました

長崎市の亀山社中傍の 坂本龍馬像

長崎の町を見下ろす竜馬像より東に進むと

龍馬のブーツ像

亀山社中記念館

亀山社中前からの眺望

亀山社中から下ってきて寺町に入りますと 真言宗御室派延命寺 門扉は長崎奉行所から下賜された

お寺が並ぶ寺間と通り

晧台寺の正門前に出ました

日本最古のアーチ型石橋の眼鏡橋

中島川に架かる 眼鏡橋を渡る

市電に乗って移動 長崎平和公園 
世界の平和を願う祈りに包まれた公園

公園内の 平和のシンボル平和記念像

 原爆投下の中心地
昭和20年8月9日午前11時02分、B29から原爆投下

この標柱の上空500mで炸裂沢山の人々が犠牲になってしまった悲惨な戦争

JR長崎駅近くの、西阪公園へ 
二十六聖人殉教地
秀吉のキリスト教禁止令によって捕らえられた6人の外国人宣教師と、日本人信者20人が処刑された場所。昭和37年に、26人が並ぶ等身大のブロンズ像が建てられ、今も国際的殉教地として、国内外から多くの人が訪れています。隣接する記念館にはキリシタン弾圧の資料が展示されています

以上で長崎を簡単に見学
午前中だけでは、市街地のごく一部しか見学できなく、もっと時間を作って見学に来てみたいと思っています。
長崎街道を歩いてみてよく整備されていたと思う、街道沿いの案内板や道標が全県にまたがって立てられていました。
何よりも驚いたのが街道道筋を分からなくて道行く人に尋ねると殆どの方が長崎街道の道筋を知っているのには驚いた。また万が一、分からなくても知っている人を紹介してくれたり、またわだわだ一緒に歩いて道を案内してくれたり本当に嬉しく親切な人たちが多かった。
また長崎県に入ると小学生の子供たちが地元の人達と末永く街道の保存景観を保とうと松の苗を街道沿いに植樹しているのがいままでたくさん歩いたが初めての光景で感動した、涙が出るほど感動したのが何時までも忘れることはないだろう。
小学生の子供を見るとみんなよい子に見えた。朝なんかあったら必ず大きな声であいさつをしてくれるので気持ちがよかった。おじいさんおばあさん、お父さんお母さん等、苦しい時を乗り越えてきた人たちの子供と思うと、よけいに愛おしくなった。
もっともっとゆっくり歩いてみたい街道の一つでした。必ずゆっくりともう一度長崎に来ます。そして長崎をもっと知りたいです。
街道歩きの好きな方は是非、長崎街道を歩くといいと思います。
実は、急いで午前中の見学を終わりJR長崎駅へ、引き続き歩く街道を予定していたのです。平戸街道です。
JRで彼杵駅へ、数日前に歩いた彼杵で長崎街道と平戸街道の分岐点を14時スタートしました。
予定としていたのが、東彼杵町~佐世保市~平戸市~唐津市~名護屋道(名護屋城址)~博多へ回るつもりで来たが、暫く歩いていきましたが地図等の資料不足で街道が分からなく、このままでは歩けないと判断、四時間ほど歩いたが途中で中断、残念ながら勇気を出して必ずまた続きを歩きます。東彼杵から福岡の小倉、長崎街道の合流点まで改めて歩くことと心に決めて、帰宅の途に着きました。

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